中央線鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
東宮御所・信濃町の地理・歴史などを、やさしく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
仰げばやがて信濃町
朝露清き練兵塲
響く喇叭の音高し
さらに読みやすく!
仰げばやがて 信濃町
朝露清き 練兵塲
響く喇叭の 音高し
さあ、歌ってみよう!
♪あおげばやがてー しなのまちー
♪あさつゆきーよき れんぺいじょう
♪ひーびくらっぱの おとたかしー
飯田橋駅→市ヶ谷駅→四ツ谷駅→信濃町駅→新宿駅→大久保駅→中野駅→荻窪駅→吉祥寺駅→武蔵境駅→武蔵小金井駅→国分寺駅→立川駅→日野駅→豊田駅→八王子駅→高尾駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※現代の中央線の起点は東京駅
※飯田橋駅は、当時は飯田町駅と牛込駅に別れていた
東宮御所(現:赤坂御用地)の横を過ぎ、信濃町へ
四ツ谷駅(東京駅新宿区)を過ぎると、東宮御所つまり現在の赤坂御用地、迎賓館を左にして、列車は信濃町駅と進んでゆきます。
東宮御所とは?
東宮御所とは、皇太子殿下がお住まいになられる場所です。
「殿下」とは、皇太子につける敬称です。
ちなみに、
- 天皇・皇后・上皇に対する敬称は「陛下」
- 親王(男性皇族)・内親王(女性皇族)につける敬称は、「殿下」
となります。
「東宮」とは、後述するように皇太子殿下のことをいいます。
赤坂御用地の中にある、赤坂御所
東宮御所は、2019年に「赤坂御所」に名称変更しています。
皇太子殿下のことを「東宮」と呼ぶ
東宮御所は、皇太子の住まいであり、赤坂御用地の東側にあることから、そのように呼ばれます。
これが転じて、皇太子殿下のことを「東宮」と呼ぶことがあるわけです。
また、現代の皇位継承順位で第1位・第2位の、秋篠宮家も、この赤坂御所にお住まいになられています。
2025年現在の今上天皇である、徳仁天皇陛下の次に天皇の地位を受け継ぐのは、皇位継承順位において、
- 第1位は、秋篠宮文仁殿下
- 第2位は、2025年現在は筑波大学に在学中の、悠仁親王殿下
- 第3位は上皇陛下(平成時代の天皇陛下)の弟である、2025年時点で90歳となる常陸宮正仁親王殿下
となっています。
秋篠宮家は、近年の話題だと眞子内親王殿下(現・小室眞子さん)と、小室圭さんの結婚問題で、かなり物議を醸したりもしました。
各国の偉い人たちを招くための施設・迎賓館(げいひんかん)
赤坂御所に隣接する迎賓館は、海外のお偉い方々を招くための施設です。
ここには、それこそ
- 国のトップ
- VIP(ベリー・インポータント・パーソン、重要人物)
を招くため、日本の名に恥じないよう、それは豪華な造りになっています。
国の偉い人たちのことを、
- 国賓
- 公賓
- 要人
と言います
信濃町駅(新宿区信濃町)に到着
やがて、
- 信濃町駅(東京都新宿区信濃町)
に到着します。

信濃町駅(東京都新宿区信濃町)
信濃守の屋敷があった、信濃町
信濃町の由来は、いかにも長野県(信濃国)と関係ありそうな地名な気がしますが、実際にはそうとも限りません。
ややこしいですが、これは江戸時代に幕府のエラい人である、信濃守と呼ばれるエラい武士さんの屋敷があったことにちなんでつけられました。
「信濃守」は、今でいう知事のような役割を期待され、幕府から任命された役職でした。
しかしこれは、特定の国・地域を治めるための役職ではなく、必ずしも信濃国(長野県)を統治する役職というわけではありませんでした。
つまり、
- その大名が実際に支配する藩や地域(ここでは江戸・東京)
- 役職の国名(ここでは信濃国・長野県)
はそれぞれ、必ずしも一致するわけではなかったので、ちょっとややこしいですね。
かつて信濃町(新宿区)に存在した、練兵場
信濃町には、かつて練兵場という、軍隊が訓練をするための場所がありました。
歌詞によれば、信濃町の練兵場では
- ラッパ(喇叭)の音がかなり響いていた
ことが伺い知れます。
きっと列車の左の窓から、兵隊さんたちが訓練・行進したりする姿が映しだされたのでしょうね。
明治時代に、陸軍の練兵場が、信濃町駅のやや南側の地域である、青山に設置されたのでした。
そのとき信濃町駅が、その軍事アクセスのための最寄駅として特に重要であり、利用されてきたという歴史があったわけです。
青山練兵の軍用アクセスして重視された、信濃町駅
信濃町駅は、当時かつての練兵場へのアクセス拠点として、重要視されていました。
戦時中は鉄道が現役であり、兵士や軍事物資などを運ぶ手段として、とても重要なアクセス手段だったのです。
そうした当時の事情を考慮して、当時の甲武鉄道(現在のJR中央線)によって、
- 信濃町・青山を経由する、いわゆる「南回りルート」で敷設された
- 信濃町駅が、いわゆる軍事用の駅(停車場)として設置された
という歴史・名残があります。
これは、当時の陸軍による、強い要望があったためとされています。
信濃町を本拠地とする、創価学会
信濃町は、全国各地に存在する新興宗教である創価学会の本拠地であり、また本部が置かれていることで知られます。
1930年代に始まった、日本の新興宗教・創価学会
創価学会は、1930年代に興った日本の新興宗教です。
戦後に、池田大作という方によって大きく広められ発展してゆき、現在日本には約280万人の信者(会員)がいるとされています。
創価学会は、元々は教育を研究する団体だった
創価とは、いわば「価値」を「創造」することです。
また、元々は宗教というよりも、どちらかというと学問の研究機関というイメージでした。
つまり、元々は宗教団体ではなかった、ということになります。
それは、元々の創始者である牧口常三郎という方が「教員」をされていたことも、教育団体から始まったことの理由の一つとして挙げられます。
そもそも「新興宗教」とは?
新興宗教とは、従来の
- 仏教
- キリスト教
- イスラム教
などの約1,500年前から存在していた宗教とは異なる、19世紀以降の(宗教の歴史としては)比較的新しい部類の宗教のことをいいます。
また、創価学会以外の新興宗教として、
- 天理教
- 幸福の科学
- エホバの証人
- 立正佼成会
などの存在が挙げられます。
いずれも、後述するYouTubeチャンネル「大人の教養TV」で詳しく解説されています。
「創価教育学会」のはじまり
創価学会は1930年11月18日に「創価教育学会」として、牧口常三郎と戸田城聖の二人によって設立されました。
そのため、「11月18日」という日付は、創価学会にとっては特別な意味を持つ日になります。
つまり彼らは、
- 鎌倉仏教の「日蓮宗」から派生した「日蓮正宗」で読まれている「法華経」をバイブルとして、
- 法華経での教えをベースに、
- 創価教育学会として教育の研究を行い、かつその教育を広めていく
というところから始まりました。
「信教の自由」が無かった明治時代 天皇神格化・「国家神道」と対立
しかし当時は、日本が「満州事変」など、世界とまさに戦争が起ころうか、というような時代でした。
当時は戦争で国民が一致団結するために、「天皇は神様」であり、また天皇の祖先である神武天皇がとても尊ばれていた時代でした。
もちろん当時は「信教の自由」などは無いため、反論は許されません。
しかし日蓮正宗における「法華経」では、
- 「他の宗派は信仰してはならない」
という教えとなっていたため、法華経の教えをベースとする創価教育学会のスタイルは、上記の「国家神道」「天皇崇拝」に完全に反していました。
自身の信仰を貫き、獄死となった牧口常三郎
牧口城三郎は、当時
- 「国民全員が、天皇陛下のお札を家に飾る」
ということを義務化されていた世の中で、伊勢神宮の神札(お札のこと)を祭ることを拒否したのでした。
そのため、”治安維持法違反”と”不敬罪”で逮捕され、獄中でそのまま亡くなってしまいました。
牧口常三郎は、このように国家の弾圧にも屈せず、獄中で亡くなるまで自信の信仰を貫いたのでした。
そのため、創価学会では初代会長であると同時に、英雄的存在となっています。
創価学会の元々の本家「日蓮正宗」の場合は
なお本家の日蓮正宗は、牧口常三郎とは異なりきちんと天皇陛下のお札を張ったり、伊勢神宮にきちんと参拝したりと、(一見したら法華経の教えに反することではありますが)、上手く政府を敵に回さないように立ち回ったのでした。
そしてこの事が、なおのこと牧口常三郎が
- 「熱心に自身の信仰を貫いた」
と、創価学会において英雄視される要因なのかもしれません。
戦後の創価学会の発展に大きく貢献した、戸田城聖
同じく戸田城聖も刑務所に入れられていたものの、その後(終戦直前の)1945年7月に出所しています。
戦後になって、創価教育学会は「創価学会」と改め、戸田城聖の経営手腕の良さもあって、創価学会は勢いを増してゆきました。
そして池田大作が会長となった1960年代以降には、会員数を次々に(驚異的に)増やしてゆきました。
また、現在は自民党と連立与党を組んでおり創価学会が支持母体となっている公明党も、党勢を拡大してゆきました。
ただ本家の日蓮正宗と考え方が食い違い、創価学会は1991年に日蓮正宗とは決別して(破門され)、独自の路線を進んでいます。
創価学会は「ヤバい」!?誤解されやすい信仰宗教を、正しく学ぶために
一方、創価学会は勢いを拡大するにつれ、この時期に強引な勧誘を行ったことで、世間的な批判を浴びることとなってしまいました。
ちなみに創価学会では、勧誘のことを「折伏」といいます。
この「折伏」とは、これまでの自分を悔い改めさせ、創価学会の教えに転向させるよう”論破”することをいいます。
強引な「勧誘」など、様々な負のイメージがつきまとう新興宗教
このように、創価学会といった様々な宗教組織は、
- いかに知り合いを勧誘して、
- 教団に大きな寄付(創価学会では「財務」といいます)をもたらした信者が、ステータス(地位)が上がる
という構図に、どうしてもなりがちです。
また、そうした人が周囲の会員(信者)からチヤホヤされて、持て囃されることになります。
そのため、それに気分を良くした人がさらに強引な勧誘(折伏)に走る、また教団に寄付をどんどん行う、といった構造にもなりがちです。
そのため、中には行き過ぎたやり方で勧誘するといった人も多くなるでしょう。
こうした
- 「強引で行き過ぎた勧誘」
- 「学会へ次々にお布施をつぎ込む」
といったイメージから、いわゆる「創価学会はヤバい」みたいなイメージがついてしまっている感はあります。
しかし「創価学会はヤバい」みたいなイメージを漠然と持っていると、本人の意図せぬところであらぬ誤解や偏見、差別を生みかねません。
創価学会員と、その家族や子供が受ける差別
たとえば、親が学会員(信者)の場合は、子も自動的かつ、必然的に創価学会員になる、という仕組みとなっています。
そのため、結婚などで学会員であることが判明すると、相手の親から反対される、といった事態が起きています。
また、修学旅行で京都などに行き、自分だけが神社の鳥居をくぐれず、そこから創価学会員であることがバレてイジメに遭う、といった事も起こっています。
差別や偏見は、「相手のことをよく理解していないこと」から起こる
いついかなるときも、差別や偏見もいうものは
から発生します。
確かに中には
- 「強引な勧誘を行う」
- 「無理やり押しかけてくる」
- 「こちらの宗派を否定してきた上で、改宗を強要される」
など、そういった事をしてくる人もいるでしょう。
しかしそれは、一部の人達が強引な勧誘や不当な商売などを行っているだけであり、またそういう人たちが
- たまたま大々的に報道され、ネットで拡散されて目立っている
から、「ヤバい」というイメージが着いている感もあります。
「宗教全体」を、一括りにして批判しない あくまで「法に則って裁く」ことが大事
万一、そういった人達が悪い事をしてきたら、
- 「創価学会員全体」「宗教全体」を一括りにするのではなく、
- その違反行為をやっている”特定個人だけ”を、
- 日本の法律(例えば、憲法20条違反の「信教の自由の侵害」や、刑法223条違反の「強要罪」、刑法130条違反の「住居侵入罪」「不退去罪」など)に則って裁くようにする
ということが大切です。
また最近では、以前のような強引な勧誘は減ってきているともいいます。
むしろ、大半の創価学会員の方々は、
ものと確信しております。
ちなみ私(筆者)は無宗教であり、創価学会を支持・批判どちらもしない立場であることを付け加えておきます。
「大人の教養TV」で、創価学会および新興宗教について、正しく学ぼう
確かに新興宗教の中には、社会的に問題のある団体も存在するため、どうしても中立的な観点から学ぶことが阻害されがちです。
こうした誤解されやすい新興宗教を、少しでも中立的な観点から勉強するには、やはり「大人の教養TV」というYouTubeチャンネルにおける、ドントテルミー荒井さんの解説がわかりやすくてオススメです。
YouTubeー大人の教養TV「【創価学会】何がヤバイ?資金源は?成立から最新の現状まで分かりやすく解説!」
こちらの動画では、私よりも遙かにうまく(詳しく)解説されております(^^;)
信濃町駅を過ぎ、千駄ヶ谷駅(新宿区)へ
信濃町駅を過ぎると、
- 千駄ヶ谷駅(東京都新宿区)
に向かって進んでゆきます。
2020年東京オリンピックに使われた、新国立競技場
列車の窓の左側には、2020年の「東京オリンピック」で使われた「新国立競技場」が登場します。
新国立競技場は、隈研吾さんの設計であり、2020年に開業した「高輪ゲートウェイ駅」と同じ設計者です。
乃木坂46の由来にもなった「乃木坂(のぎざか)」
国立競技場からさらに南へ行くと、アイドルグループ「乃木坂46」の名前の由来として有名な坂道である「乃木坂」があります。
また乃木坂には、「ジャニーズ事務所」もあります。
明治時代の指揮官・乃木希典に由来する 乃木坂
「乃木坂」は、乃木希典という1904年の日露戦争において活躍した指揮官に由来します。
乃木希典は、日露戦争の旅順攻略のときの指揮官です。
日露戦争において、日本はロシアと戦っていたわけですが、このとき中国の「旅順」という拠点を巡って争っていました。
乃木希典の指揮により、多数の犠牲者を出しながらも、屈強な旅順要塞を攻略
そして、この旅順一帯が見渡せる「203高地」を巡って、日本軍はかなり苦戦します。
203高地は、標高203メートルの小さな山だから、このような名前となりました。
ここは旅順一帯を見渡せるベストスポットなため、もしここを押さえることが出来れば、日本軍としてはかなり有利に戦いを進めることができるからです。
この203高地や旅順要塞は、とても屈強でした。
しかし、乃木希典の指揮により、多大な犠牲者を出しながらも、なんとか陥落させることに成功します。
明治天皇の崩御と共に、自ら最期を遂げた乃木希典
1912年になり、明治天皇が崩御(亡くなること)されました。
すると、なんと乃木希典は後を追うように、自刃して亡くなってしまいます。
彼はよほど明治天皇に対する忠誠心が強かったのでしょう。
この時代は、いかに天皇に対する忠誠心があるかが重要でした。
そのため、先ほどの日露戦争における旅順での功績に加えて、乃木希典が神格化(つまり、神様と崇められること)されたのは、わかる気がします。
全国各地にも存在する乃木神社
なので現在の乃木坂には、乃木希典を神様として祀る「乃木神社」が存在します。
乃木神社には、乃木坂46のメンバーも参拝されることで知られます。
また「乃木神社」は、全国各地にも存在します。
次回は、新宿駅へ
やがて予備校「代々木ゼミナール」の本拠地である
- 代々木駅(東京都渋谷区代々木)
を過ぎ、山手線とも合流し、新宿駅に着きます。
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